オナ禁2日目_うつ病と十字架

俺はかわいそうな人間だと思う。
だって、持病を持っているんだから。
うつ病という持病を。

これが発生するメカニズムも、もう分かっている。

俺は何も悪いことをしていない。
ただ毎日、一生懸命仕事して生きているだけだ。
それなのに、ある手順が重なると「うつ病」が発生し、人生に希望が無くなる。

なんて可哀想な奴なんだろう。

他の奴はこうはならない。
俺だけがなる。俺だけ損してる。
そうだよ、俺だけ損してる。この件に関しては。
でも俺だけ得してる部分もあるだろ。
家族が健在だとか、離婚してないとか、極貧家庭じゃないとか。

俺は間違いなく、人生のかなり大きな部分でハンデを背負っている。
でもだからなんだ。俺は運が悪かった。それだけの話だ。
運が悪かったことを嘆くな。対応しろ。

どう考えても俺は他人よりハンデが大きい。
でもそれを嘆くのはもうやめろ。
「ハンデが大きいよ、だからこうやって対応している」
それでいいじゃない?

この世は不公平だから、俺は俺なりに対応しなければならない。
対応するからこそ、自分で自分を認めてやれるんだ。

こんなにクソな条件なのに、お前は見事に対応している。
そんなお前が俺は好きだ。そんなお前を俺は信頼している。
と、こうなる。

でも対応できなければ自分で自分を信頼することができない。
自己否定に簡単に行き着いてしまう。
そうなると俺にとっても、俺の家族にとっても不幸なことが起きる。
簡単に不幸なことが起きる。

俺は十字架に対応しなければ、簡単に不幸に見舞われる。
だから俺は十字架に100%対応しなければならない。

E禁を破ると、俺の心は弱くなる。
飲み会があると、俺の心は弱くなる。

E禁を破る日々が連続した状態で飲み会があると、うつ病が発生する。
うつ病が発生すると、俺の心は壊れ、自分でコントロール出来なくなる。
うつ病の原因や分析をすると、うつ病から逃れられなくなる。

だからうつ病に陥ってしまった時の対応は、
うつ病について考えない。
エロ禁を完璧にする。
そして1週間時間が経つのを待つ。

これでいい。
これで、俺は自分の心のコントロールを取り戻せる。

俺の分析は、いつも合っている。
合っているから、分かっていることに失敗すると、希望が無くなるんだ。

この世の中を見渡してみると、美しいものにあふれている。
カフェの内装は綺麗だし、街の雑踏もクルマのライトも綺麗に感じる。
飲み屋の内装や照明、そこに集まる人々の笑顔。
無駄なおしゃべり。

全てが美しく感じる。

でも俺はいつも一人だ。
人と関わると、人と雑談をすると、飲み会をすると、
自分を否定し、世界が灰色に変わる。

美しいはずの人生から自分が切り取られ
人生から希望が失われ、八方塞がりとなり、どうすればいいのか分からなくなる。

この人生を終わらせる事以外に解決策がないように思えてくる。

厄介なことに、他のみんなは俺とは全く違う。
俺とは全く違うことに心を痛めたり、傷めなかったり。
皆が同じ条件で生きているわけではない。
と言うより、一人ひとり全部条件が違う。

だから他人は参考にならない。

「俺は持病を持っている。そして俺の分析はかなり正しい。」

この事実だけがあるだけだ。

世の中の多くのことは、答えなんて誰も知らない。
何が正しいか何が間違っているかなんて誰も知らない。

そんな中でも確実に言える真実は、

「弱い奴は淘汰される」

この世の中のゲームのルールは、ただそれだけ、ということだ。
いたってシンプルなルールだ。

自分の弱さを知って、逃げる。すると自分は壊れないで済む。
壊れないから強い。逃げるのは弱さではない。
弱さとは、壊れることを言う。

壊れてしまうと、自分をコントロール出来ないからだ。
弱いとは、自分をコントロール出来ない状態になることである。
俺のうつ病が発生した時のように。

仕事に行きたい、ベッドから出たい、嫌な思考を切り替えたい。
でも出来ない。
何故なら心が壊れて自分をコントロール出来ないからだ。

だからコントロールできなくなる前に、
そんなものからは逃げ出してしまえ。
どんな理由でもいい。
この場合、逃げることが強さである。

心を壊すと1週間以上を棒に振る。
つまり仕事がストップし、仕事相手に迷惑をかけ、
家族に迷惑をかけ、自分の心身に負担をかける。

そして進んでいた仕事も停滞し競争力を失う。

また、自殺を考えるようになる。

しかし、
自殺をしたところで、解決しないということ。

俺を愛してくれている人の背中に十字架を負わせるだけだ。
俺は十字架を背負って生きているが、他人に十字架を背負わせることだけはしない。
そんな残酷なことしてたまるか。

俺のことを愛してくれた人に対する最も苦しい報復じゃないか。
自殺しても俺の意識はなくなるかもしれないが、遺族が十字架を背負う。
だから自殺はあり得ない。

俺にとって大切なのは正しい時間の過ごし方だ。
正しく過ごせば、力は自然に湧いてくる。
力が湧いてきている時、俺は弱者ではない。

仕事でも能力を発揮できるし、求められる人材でもある。
俺は強者で居続けなければならない。
でないと自殺してしまうからだ。

その根源が、E禁を破らないことなんだ。

話がとち狂っているように思えるだろう。
でも俺にとってはこれ以外に解決策はないのだ。

何故、飲み会や食事で雑談した程度で、
自分の全てを否定して死にたくなるほどに心が壊れなきゃならない?

そんなの俺にも分からない。
全くもって意味不明だ。
でも事実、心は壊れる。
なんで?何てつまらないルールなんだ!

でも俺は極限まで傷ついてしまう。
うつ病が発生する。

このルールを変える方法が無い。
どれだけ探しても見つからなかった。

これは俺の責任か?
こうなってしまうのは、誰の責任だ?
分からない。親の責任?育った環境の責任?
育て方のせい?そんなの全て関係なく、俺という人間の性質?

理由なんてわからないよ。
分かるわけ無いじゃないか。
そして分かったとしてもだからなんだ?
そいつに責任をなすりつけることも出来ない。
意味が無い。

俺に被害がある。
このことだけが問題だ。
俺に被害がなくなれば、それで全て解決だ。

物心ついた時から俺が背負っている十字架。
それが雑談。飲み会。

人はマイナスを抱えたことを感謝するようになれるという。
本当か?

手足が無かったからこそ~で、今は感謝しています。
片親だったからこそ~で、今は感謝しています。
ブサイクだったからこそ~で、今は感謝しています。
口下手だったからこそ~で、今は感謝しています。
ゲイだったからこそ~で、今は感謝しています。

俺も、
十字架を背負っていたからこそ~で、今は感謝しています。

と、いつか言える時が来るのか?
でも、そこを目指す以外に道はないだろう。
俺の人生の成功があるとすれば、

十字架を背負っていたからこそ~で、今は感謝しています。

というセリフを心から言えた時だ。
その時、自分を許しているからだ。
こんな糞野郎な自分を、自分が許しているからだ。

そのセリフを言えたなら、俺の人生は勝ちだ。
生きた意味があったといえるだろう。

心を弱くしたら、俺はやられる。いつでもやられてしまうだろう。

心を弱くしないために、
・箱で考える
・疲れたら休んでいい、時間は関係ない
・部屋にスマホを持ち込まない

E禁を重ねる日々が、俺を救ってくれる。

それはつまり、俺には性的な快楽が無い、ということか?
俺は普通の人が当たり前にしているオナニーをしてはいけない、
俺の人生ではそれが禁止されているということか?

そうである。

それって凄く俺だけ損だよね?
そのとおりである。

人生は平等ではないから。
俺だけ、それに耐えなければいけない。
それが出来なければ、心が弱くなり鬱が発生するから。

俺だけ、耐えなければならない。
だからこそ意味がある、とは考えられないだろうか?

「他の人は耐えなくていいものを、俺だけが耐える」

これって凄く難しいことだよね。
それができたら凄く褒められることだよね。
凡人には出来ないことだよね。

じゃあどうして俺にはできるのか?

「十字架を背負って生まれてきたから」

このように言えるのではないだろうか。
十字架を背負っていなければこんなことは実現できないだろう。

十字架を背負っていない人間に、この苦行は実現できない。
でも俺はできる。背負っているから。
そして、達成できた自分は、自分でもスゴイと思う。
大した野郎だと思える。

その時初めて、
クソつまらない性格で自己否定したい自分でも、
自分を「なかなかやるな」と思える。

頑張ったね、と思える。
自分のことを好きになれる。信頼できる。

「他の人は耐えなくていいものを、俺だけが耐える。
だからこそ意味がある」

最後に俺が大好きな文章を。

優しい人が、強い人だと思っています。「優しさは強さ」~そのままです。

自分がマイナスの運命を背負っている。
その劣等感から、人に対して攻撃的になる。劣等感から攻撃する人は、優しくない人です。
こういう攻撃をする人は、一見強い人にみえますが、実は違う。

自分のマイナスの運命のせいで、人より劣る。
しかしその辛さを、誰のせいにも何のせいにもしない。全て受け入れる。
口で言うのは簡単ですが、時にこれは大変なことでしょう。
この人は強い人です。

自分のマイナスの運命のせいで、人に傷つけられる。
その辛さを、自分が自分で分かってあげる。「自己愛」です。自己愛があるから受け入れられる。
そして、自分で自分を分かってあげられるから、人の心の傷も分かってあげられる。
この人は優しい人です。

弱い人を傷つけるということは、まるで自分を傷つけることのように感じるから、それができない。

どうして自分を分かってあげようという気持ちになれるのか? それは自分が耐えたからです。
自分は強かった。だから自分は偉い。だから「偉い自分のことを分かってあげよう」と思えるのです。

強い人は優しい人です。その心には深刻な劣等感・自己蔑視・自己嫌悪がありません。
それはつまり、自己愛があるということです。